子どもの頃に思い描いていた夢や想像してきた人生を今、歩んでいますか?そう振り返ると、私は違う人生を歩んできました。
やはり思い通りに進まないのが人生ですね。いろいろな道はあるけれど、今までの選択や進んできた道に後悔はありません。
人生は想像通りに進まない、だから楽しいのです。
26歳、看護師だからできた決断
2010年、大学を卒業し看護師となり、地元の総合病院に就職し、内科・整形外科の混合病棟に配属となりました。
係のリーダーや委員会、後輩指導などの役割を担い、やりがいを感じ始めた、5年目。ある日、現在の夫に「仕事を辞めて、神奈川県に行き、受験勉強をする」と言われました。
彼は、無職になる身でプロポーズすることもできず、どうすれば良いのか分からない様子でした。付き合って4年、看護師1年目から頑張ってこられたのは、同期でもある彼の存在があったから。
大好きな地元での生活や今までのキャリアを捨てることに悩んだが、「私が彼の支えとなり、養っていく」と決めました。2016年、神奈川県に移住し、翌年に入籍しました。
29歳、まさかのキャリアップ
新たな土地での転職は、土地感もなく、病院も分からないため、条件は「家から近い」。また、世帯主となり少しでも多く稼ぐ必要があったので、「常勤・夜勤あり」。
自宅から車で10分の総合病院に就職し、外科がメインの混合病棟に配属となりました。配属された病棟は、院内で最も忙しく、入職した翌週には1人で部屋持ちをするようになりました。
業務のやり方や物の配置など、気になることや疑問に思うことはあったけれど、「郷に入れば郷に従え」と思い、新人気分で業務しました。
勤めて2年、師長より「主任に推薦した」と告げられました。「なぜ私が?私より年齢も経歴も上の先輩が多くいるのに…。管理職は責任が重く、大変だからやりたくない」と喜びはなく、驚きや不安の方が大きかったです。
師長はそんな私に、「仕事が早くて的確であり、アセスメント能力が高い。誰にでも平等に接する事ができ、信頼できる。視野が広く、マネジメントに長けている。とにかく雰囲気が好き。一緒に仕事がしたい。」と推薦理由を教えてくれました。
私は「この師長のもとでなら、頑張ってみたい」と思い、主任看護師となりました。
実際にやってみると、資源や人の強みを最大限に活かすためにはどうするか考えること、スタッフの個性を把握し適材適所を考えて病棟をマネジメントすることなど、中間管理職ならではの楽しみを発見しました。これは新たなチャレンジをしたことで得られた結果です。
30歳、母との別れ。夫とのご飯は月5回
2018年、母が癌で亡くなりました。母は私にとって何でも話せる友達のような存在でした。身近な人の死を経験し、看護観が高まる一方で、人生の儚さを感じました。
30歳となり、友人は家を建てたり子どもを産んだり、次のライフステージに進んでいました。
私は仕事中心の生活で、周りの友達との距離感を感じることもありました。夫との生活はすれ違い、一緒にご飯を食べるのは月5回。
今まで仕事を頑張ってきたのは自分のやりがいでもあったが、元々は夫との生活のため。夫はもう働いており、私が養う必要はない。仕事中心の生活を続けることは、私の望む生き方なのか。でも、私には役職があり、頼りにしてくれている人たちがいる。私が辞めたらどうなるのか。
私は1年以上悩みました。夫との時間、自分の時間を大切にした生活をするため、2020年、退職しました。
人生には時間の限りがあること、自分にとって大切なものは何か教えてくれたのは母でした。
流れに身を任せて変化を楽しむ。でも自分らしさは失わない
「人生は一度きり」
想像と違うものになっても、それも人生だと受けとめる。そして、もたらされる変化や過程を楽しむ。それが私の考え方です。さらに、その中で自分らしさを保つことを大切にし、人生を豊かなものにしたいです。