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多くの壁を乗り越えてたどり着いた「看護師×セラピスト」という働き方【ナース図鑑】

働き方改革の実行計画として厚生労働省から副業・兼業の促進のガイドラインが出され、フリーランスとしての働き方に興味を持っている看護師さんもいるのではないでしょうか。
その中でも看護業務のダブルワークではなく、「自分の好きなことや興味のあることを活かして起業したい」と考える人もいると思います。今回は、看護師としての経験や知識を活かしてセラピストに転向した、茶木絵梨香(ちゃきえりか)さんをご紹介します。

現在、茶木さんは4人の子どもを育てながら、鹿児島県の離島でセラピストとして活動しています。看護師から起業したきっかけや、セラピストとしてのやりがい、今後の目標などについてお話を伺いました。

目次

看護師のケア次第で患者さんの未来が変わることを実感

看護師と患者が手を繋いている

ー現在のお仕事について教えてください。

2017年に看護師からセラピストへ転向し、現在は居住地である鹿児島県の離島「喜界島」を中心に、東京や静岡でも活動しています。
施術は完全オリジナルですが、育休中に出会ったアロマセラピーやリフレクソロジーがベースになっています。
当サロンにはホームページがないのですが、ありがたいことに口コミだけでお客様が集まっています。

ー看護師時代にはどのような経験をされましたか?

2010年に首都圏の大学を卒業し、地元である静岡県に戻って大学病院に就職しました。
就職後は脳神経外科病棟に配属されたのですが、三次救急病院のため人工呼吸器やAラインを使用している患者さんを受け入れることもありましたね。
病気やケガで思うように体を動かせない方と接する機会が多かったのですが、看護師の関わり方次第で、患者さんの未来が変わっていくことを実感しました。

例えば、麻痺のある患者さんの場合、思うように動かない手を見ることすら嫌になってしまう人もいます。しかし、その手を看護師が労いながら洗ったり、丁寧に触れながら動かしたりすることで、自分の体の変化を徐々に受け入れられるようになったんです。

前向きな気持ちで治療やリハビリに取り組めるようになると、回復の程度やスピードが変わってきます。患者さんが少しでもポジティブな気持ちになれるよう、心がどのような状態にあるのかを考えながら声をかけたり、感謝の気持ちをもって丁寧に体に触れたりすることを心がけていました。

これはセラピストになった今でも、お客様と接するときに大切にしていることです。

看護師3年目が終わるころ結婚をしました。
その時は三交代勤務だったので、会社員の夫とは休みが全然あわなくて……。
仕事と家庭の両立に悩んでいたころ、ちょうど上司から大学病院に附属する看護学部へ異動して、助手をやってみないかという話をいただきました。

「夜勤がなければ家庭との両立もしやすいだろう」と考えて、2013年に看護学部へ異動したんです。
その後、すぐに子どもを授かり、2014年1月には双子の男児を出産しました。
1年ほど育休を取得したのですが、その間に現在の施術のベースとなっている、アロマセラピーやリフレクソロジーの勉強を始めました。

壮絶な出産体験と双子育児が人生の転機に

妊娠中のお腹をさすっている写真

ー育休から復帰した後はどのような働き方をされていたのですか?

整形外科病棟に配属されて、時短勤務で1年間働きました。
実は、双子を帝王切開で出産したときに無気肺になって、かなり大変な思いをしたんです。
そのとき思い出したのが、脳神経外科病棟で働いていた際に担当していた、乳がんの患者さんのことでした。
痛みに苦しむ彼女に「できる限りのことをしたい」と思いながらも、忙しさを理由に十分なケアができなかったことをずっと後悔していました
無気肺になったときには、彼女にした看護が自分に返ってきたと思いましたし、「痛みを我慢させるような看護はもう流行らない!」と強く感じましたね。
育休中に学んだことや感じたことを看護に活かしてたくて、看護大学ではなく病棟への復帰を希望しました。

ー双子を育てながらの病棟勤務はかなり大変だったのではないでしょうか。

双子を出産して現場復帰したスタッフは誰もいなかったので、兄弟とは違ったタイミングで体調を崩す双子育児を理解してもらうのは難しかったですね。
夫と交代で休みをとっても、40日間あった有給をあっという間に消化してしまって……。1カウントできないような看護師が病棟にいる必要があるのかとすごく悩みました。

さらに当時は、西洋医学以外への関心が高まっていた時期で、「病院では病気を治すことはできても健康になることはできないのではないか」と感じていたんです。
ちょうど、産前に勤務していた大学病院の看護学部へ異動を打診されたこともあり、再び臨床現場を離れることに決めました。

ーセラピストに転向したきっかけは?

看護学部に戻ってからは、基礎看護学領域の助手として働いていたのですが、看護師の卵たちを育てるという仕事は非常に楽しくやりがいもありました。
しかし、「これまでに学んだ知識や技術を活かして自分の手で施術ができたら」という思いが強くなっていったんです。
そこで、助手の仕事を辞めて、まずはハーブ園でアルバイトを始めました。精油を使ったセルフケアの効果を日々実感していたので、植物の力の原点を知りたいと考えたんです。

ハーブ園で働き始めてしばらく経ったころ、毎日の畑仕事で体に負担がかかっていたのか流産してしまって……。
無農薬でハーブを栽培する農園だったので、植物についた虫を落とすために、真冬でも冷たい水に触れていたのが良くなかったのかもしれません。
流産の手術後は、力仕事や体が冷えるような作業は控えるように言われていたので、ハーブ園での仕事を辞めることにしました。

ハーブ園を辞めたことをきっかけに、2017年からセラピストとしての活動をスタートしました。
自営業だと自分のペースで仕事ができるので、ハーブ園での仕事に比べると体への負担は少なかったですし、家事や育児との両立もしやすくなりましたね。

仕事がない日々から予約が取れない人気セラピストへ

マッサージをしている写真

ー開業当初は、なかなかお客様が集まらなくて苦労されたと聞いています。

当時は開業したもののお客様が全然いなくて、訪問入浴やデイサービスで働きながらセラピストを続けていました
たくさんのお客様に選んでいただけるサロンになるまで、1年くらいはかかったように記憶しています。

しかし、地域や在宅での看護に携わったおかげで、新たな医療の課題に気付くことができました。「セラピストとして、医療に新しい風を吹かせたい!」と強く思いましたね。

不思議なもので、セラピストとしてやっていく決心がついたら、少しずつお客様が増えていったんです。
最初は、がんで闘病中の方から施術をお願いされることが多く、末期がんの方のご自宅に伺って施術をさせていただくこともありました。
きっかけは、近所の方が「がんになった自分の友人に施術してもらえないか?」と相談してくださったことでした。
そこから口コミで評判が広まり、同じようにがんで闘病中の方々から施術のご依頼をいただくようになったんです。

私が看護師だということが、お客様の安心感につながっていたのかもしれません。
施術を受けてくださったお客様の多くは、リピーターとして毎月サロンへ足を運んでくださるようになり、さらに口コミや紹介で新しいお客様にも来ていただけるようになりました。

ー喜界島に移住しようと思ったきっかけは?

後輩が喜界島で看護師をしていたのですが、島生活の様子を聞いて興味が湧き、いつか訪れてみたいと思っていました。
初めて喜界島を訪れたのは、2021年の8月です。
新型コロナウイルスの流行で子どもたちがマスクをしたり、アルコール消毒で手がボロボロになっていく様子を見たりしているうちに「何かが違う」と違和感を覚えるようになっていました。

そこで仕事を調整して、4人の子どもたちと喜界島に2週間滞在することにしました。
島の人たちは子どもにとても優しく、豊かな自然の中で子どもたちがみるみる元気になっていくのがわかりましたね。
その様子を見ているうちに「たった十数年で終わってしまう子どもとの時間をもっと大切にしたい!」と強く感じたんです。

子どもたちがいきいきと過ごせる環境で、育児(育自)をもっと充実させたいと思い、喜界島への移住を決めました。

離島で新生活!4児を育てるママセラピストとしてのこれから

ーこれからの目標を教えてください。

人はみんな平等に幸せになれるはずなのに、「辛いことや大変なことばかりで幸せを感じられない」という人が多いように感じています。
しかし、物事の捉え方を少し変えるだけで、誰でも上手に心と体のバランスが取れるようになるし、幸せになれると思うんです。

自分が幸せでないと、周りの人を幸せにすることもできませんから、施術を通してご機嫌な人を増やし続けていきたいですね。

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この記事を書いた人

仕事と家庭の両立に悩み続け、ライフスタイルの変化にあわせて4度の転職を経験。「ナースでも在宅で働きたい」という思いから、現在はライターや産業保健師として活動中。プライベートでは2児の母。

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